レマリヤの子イスラエルの王ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。
その子はアマジヤ、その子はアザリヤ、その子はヨタム、
アザリヤはその先祖たちと共に眠ったので、彼をダビデの町にその先祖たちと共に葬った。その子ヨタムが代って王となった。
ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
レマリヤの子ペカはユダの王アザリヤの第五十二年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二十年の間、世を治めた。
メナヘムの子ペカヒヤはユダの王アザリヤの第五十年に、サマリヤでイスラエルの王となり、二年の間、世を治めた。
ユダの王アザリヤの第三十九年に、ガデの子メナヘムはイスラエルの王となり、サマリヤで十年の間、世を治めた。
ヤベシの子シャルムはユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリヤで一か月世を治めた。
イスラエルの王ヤラベアムの第二十七年に、ユダの王アマジヤの子アザリヤが王となった。
そしてユダの民は皆アザリヤを父アマジヤの代りに王とした。時に年十六歳であった。
ペカのその他の事績と彼がしたすべての事は、イスラエルの王の歴代志の書にしるされている。
彼は王となった時二十五歳であったが、エルサレムで十六年の間、世を治めた。母はザドクの娘で、名をエルシャといった。
これらはみなユダの王ヨタムの世とイスラエルの王ヤラベアムの世に系図にのせられた。
アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世にユダとエルサレムについて見た幻。
ユダの王ヨタム、アハズおよびヒゼキヤの世に、モレシテびとミカが、サマリヤとエルサレムについて示された主の言葉。
主が王を撃たれたので、その死ぬ日まで、重い皮膚病になって、離れ家に住んだ。王の子ヨタムが家の事を管理し、国の民をさばいた。
時にエラの子ホセアは徒党を結んで、レマリヤの子ペカに敵し、彼を撃ち殺し、彼に代って王となった。これはウジヤの子ヨタムの第二十年であった。